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おてぷり通信(3月15日号)
Vol.16 <お天気プリンセス:タコ・イカ・マンボー> 一覧はこちら
春爛漫、桜のたよりが届くころに… 春の息吹が冬枯れの野山を駆け巡り、若草色の緑が芽吹き、艶やかな花々が咲いて、大地から春の吐息が聞こえる季節ですね。

まさに春爛漫、うららかな陽気に誘われて花見る旅に出かけませんか?


 ☆花見る旅路☆
花見る旅路へようこそ!“日本の春…”といえば、思いつくものに“桜”や“お花見”がありますね。そこで今回、日本人の心にいきづく桜と花見の文化をたずねる旅をご用意しました。
桜の夜明け

大陸から稲作りの文化が渡ってきたころ(縄文・弥生時代)のお話です。

日本人の文化が始まる古来より、春になると日本の山々には“桜”が咲いていました。

いにしえ人は、めぐりゆく季節の生業の中で、山桜の花がひらくころに、稲の種蒔きを行っていました。そして、満開に咲き誇る桜の姿をみて、秋の稲の実りを予感し、桜に豊作を願ってお供え物をするようになっていきました。

いにしえ人にとっての“桜・さくら”は、“稲の神が宿る神聖な花(当時の言葉で“さ=田の神”、“くら=神様が宿る場所”という意味)”であり、特別な花だったのです。


お花見“梅〜は〜咲い〜た〜か〜桜〜はまだかい〜な♪”

貴族が政を治める時代のお話です。

奈良に都がおかれたころ(奈良時代)、中国との交流が始り、花をめでる文化(花見)や梅の木が渡ってきました。中国の文化を手本としていた時代であったため、この時代の花見は、梅をめでることでした。

都が京都に移ったころ(平安時代)、宮中の雅な文化が花ひらいて、移りゆく四季の自然に賛美する心の文化や美学が培われた時代でした。

嵯峨天皇が初めて桜の花見の宴を開いた(このことが花見の始まりのようです)ことや、御所の紫宸殿(天皇の正室)の前庭の梅(左近の梅)が、桜(左近の桜)に植え替えられたことなど、桜にまつわるエピソードが時の書物に記れています。

また、紫式部の恋愛小説“源氏物語”の中で、光源氏が愛した美しい女性の姿が桜にとえられています。

そして、桜を美しく思う日本人の心は、時を越えても変わることなく、花見といえば日本の自然の美しい桜をめでることになっていったのです。


さくらの栄華

武士が天下人になった時代のお話です。

武士の“いさぎよし”を美徳とする精神と満開の桜が散り行く姿とが重なりあい、時の天下人たちに愛される花“桜”となりました。また、宮中を飛び出した花見の文化も受け継がれたのです。

戦乱の世を生き抜いた豊臣秀吉は、色々な芸術や文化(茶道や能など)を愛した武将でした。ことに花見を好んだらしく、後の世に語りつがれるほどの豪華絢爛な花見(吉野の花見・醍醐の花見)を行っています。

今でも醍醐寺(京都・山科区)では、醍醐の花見の時に近くの山々から移植された700本余りの桜が、春の訪れとともに満開に咲き誇り、当時の栄華の偲ぶことができます。


さくら咲く

天下泰平の世が400年あまり続いた江戸の時代のお話です。

参勤交代の制度により、地方と江戸を結ぶ道が整備され、人々の往来が容易となり、人と地方の文化が江戸に集まるようにたりました。その中で桜は、色々と各地方から江戸に集められ、多くの品種を生み出されました。今を代表する桜=ソメイヨシノが誕生したのもこのころです。

八代将軍・吉宗の時代、庶民のために桜を植られて、江戸の町に桜の名所が誕生します。

花見の文化は、粋な江戸っ子に好まれて、庶民文化へと溶け込んでいました。

花のお江戸に春が来て、人々がこぞって満開の桜の花見に出かけ、桜のもとでお弁当を広げ、飲み食い唄い踊る江戸っ子の様子が、川柳や落語そして、歌舞伎などで表現されています。こうして、江戸に咲いた庶民の花見の文化は、今の世まで受け継がれる日本人の春の楽しみの行事となっていったのです。
桜の満開のころ、競って場所とりをして、友と飲めや歌へのどんちゃん騒ぎ…
こんないつもの花見もいいけれど、
時には、桜吹雪を肴にいにしえ人より受け継がれてきた桜への思いに
酔いしれてはてはいかがでしょうか?
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